デンマークのコペンハーゲンに拠点を置くリサーチ&デザイン研究所。人類と地球に影響を与えるであろう大きな社会変化に対する革新的な解決策を研究・デザインするという目的のもと、2015年に設立された。

常に自分たちよりも賢い人たちと一緒に仕事をすることを大切にしており、世界中の先進的な専門家やクリエイターのネットワークと連携してプロジェクトに取り組んでいるほか、研究結果やアイデアはすべて公開されている。また外部の人々と交流し、想像力を刺激し、視点を多様化するために、展示や講演会、ディナー、上映会などを定期的に開催している。

シェアリングエコノミーの台頭と、地球上の資源の枯渇や人口の急増により、私たちは日常生活における「所有」と「共有(シェア)」の概念、そして「住宅」について考え直す時に来ています。将来、私たちは他の人と一緒に暮らすことに慣れなければならないかもしれません。しかしシェアードリビング(共同生活)は私たちにどんなメリットを与えてくれるのでしょうか? プライバシーを放棄し、従来の「家」を再定義してまで人々を魅了するシェアードリビングについて考察してみましょう。

自己紹介

初めまして。Yingxuanと申します。私はシンガポール出身で、現在はオランダにあるデザイン・アカデミー・アイントホーフェンの学生です。私はSPACE10のレジデンスプログラムの卒業生で、プログラム期間中はシェアードリビングの研究を行っていました。

テクノロジーの目覚ましい進歩によって私たちの暮らしは飛躍的に向上しました。けれども、私は人間の感覚に関するある種のアナログな体験は大切であり、これからもずっとそうであると信じています。生活環境における人間の行動や他者との関わり方を観察することが、私の研究の出発点です。私はこの研究内容をツールや体験に落とし込むことで、日常生活について考えるきっかけを作れたらと思っています。

近年、世界中で共同生活をするための空間が増加しています。私はSPACE10のレジデンスプログラムを通してこのテーマを深く掘り下げました。そしてどのような人々が、どのような理由で共同生活を選択しているのか? 共同生活という考え方が私たちの未来の暮らしにどのような影響を与え、貢献できるのか? などの疑問の答えを探りました。これは現在進行中の研究ですが、現段階でわかったことや考察について投稿したいと思います。

人口増加 ≠ 孤独

2050年には、世界の人口が100億人近くに達すると予測されています。十分な住宅を供給するために、新しい都市が建設されたり、工場やオフィスビルだった建物が住宅に転用されたりしています。住宅不足は急務の課題です。それに加えて、孤独の問題にも着目する必要があります。孤独は伝染するのです。

皮肉なことに、人口が増えても、人々の交流や人間関係の増加にはつながらないのです。むしろ孤独を感じる人が増えています。ブルックリンのウィリアムズバーグ地区にある9戸のアパートを約40人に部屋を貸しているPure House社のプログラミングディレクターとして働いていたHarrison Iulianoは、『ニューヨークタイムズ』紙に「人とのつながりがまったくない大都市に大勢が暮らしています。本当に孤独だと感じることがあります」と語っています。さらに、英国では成人の68%が、「しばしば、あるいは時々、孤独を感じる」と答えています

今後建設される予定の何千もの新しい街は、私たちに住まいを提供してくれるかもしれません。けれども、その住まいは人々のウェルビーイングに安らぎを与えてくれるような空間になるでしょうか? 住宅の新しいかたちを調べる過程で、私たちは「近所」や「家」の定義、あるいは人々がともに暮らすことの意義について再考すべきかのかもしれません。

昔の共同生活とは?

集団生活は、今に始まったことではありません。歴史上、さまざまな文化圏で、さまざまな理由から実践されてきました。19世紀から20世紀にかけてのアメリカの寄宿舎は、家族と過ごす家庭生活から社会人になるまでの期間を埋める一時的な場所でした。日本では、17世紀初頭から手洗いや風呂などの衛生設備が共有されていました。多種多様な人々が人口密度の高い地域で密になって生活するのが、当時の日本の都市生活の主流だったのです。中世ヨーロッパの人々は、寝るための特別な部屋を持たず、ただひとつの生活空間ですべてをまかなっていました。もちろん、プライバシーの確保はできませんが、他の選択肢がなかったため我慢せざるを得なかったでしょう。同様に、人々は長い間、学生寮やシェアハウスなどで小規模な共同生活を行ってきました。この場合、家賃の節約という経済的な背景があります。かつて、ひとり暮らしや郊外に豪邸を持つことは贅沢の一形態でしたが、プライバシーと引き換えに人とつながる機会を選ぶ人が増えている今、共同生活は新たなラグジュアリーとなり得るでしょうか?

いわゆる「シェアリングエコノミー」の急増も、人と人とのつながりを渇望する私たちの気持ちを反映しています。こうしたサービスを通じて人と人がつながり、デジタルなつながりをリアルな出会いに変えています。そしてAirbnbを通じて見知らぬ人と家をシェアするような、新しい暮らし方が生まれているのです。地球の人口増加や天然資源の枯渇を考えると、家をシェアすることは多くの人にとって必然です。それは単なるサービスという枠を超えて、より持続可能な未来を求める私たちの日常生活の一部として当たり前のものになるかもしれません。

現在の共同生活

アメリカで始まった「コリビング」のトレンドにより、Pure House社Common社などのスタートアップ企業が、「住まいをシェアすることで社交性や利便性を得たいが、良い物件を見つけられない」という35歳以下の人々の市場を開拓したのです。その後、このコンセプトは他の多くの国にも広がっていきました。

このような「ともに暮らす」という形態は、私たちの住宅への取り組み方を変えつつあります。数人でシェアするタイプから、ロンドンのCollective社が展開するOld Oakのような数百人規模が共同で暮らせる複合施設まで、さまざまな形態が存在します。2016年5月にスタートしたOld Oakは、オフィスビルを改造した550床のベッドを備える施設で、現在では世界最大級のコリビング施設です。「決して危機を解決しているわけではありませんが、この問題に対処するためのオプションや機会を構築し、人々に提供しています」と、Collective社の最高業務責任者であるJames Scottは、ロンドンの住宅危機について語っています。

ミレニアル世代(通称Y世代)は、モノよりも体験を重視し家を所有することよりも一緒に暮らすことに関心があると言われています。前述のコリビング住宅の最大の利用者は、つながりやプライバシー、効率性を求めるミレニアル世代。また、このような形態の住まいは、転勤や進学で新しい都市で暮らしを始める人々が、より早く友人を作り地域に馴染むのにも役立っています。

今日のコリビング住宅は、友人関係や人脈を素早く構築できるように設計されています。住人は入居直後から、持ち寄りパーティや日曜夜の『ゲーム・オブ・スローンズ』上映会に参加することができます。つまりすでに構築されたプレハブ式のコミュニティに対して基本的にお金を払っているのです。
CityLab (2016年5月)

共同生活の空間を共有することで、孤独を感じることのない居場所を手に入れることができるのです。

ミレニアル世代が友人関係を築ける巨大なコリビング施設以外にも、入居者のスキルや興味に特化したコミュニティ型のコリビング住宅も存在します。OpenDoorには「食品・地元農業」「社会起業家」「アーティスト/メーカー/ワークショップ」の3つコミュニティがあり、この特別な空間で人々がより創造的に、つながりや目的を持って生活できるようにすることをミッションとしています。

同様に、21床のベッドを有するコペンハーゲンのNestは起業家のためのコリビング・アパートメントです。ここの入居者は、これまでに合計72のスタートアップを設立しました。Pop Up Cityの説明によると、「入居者は必ずしも起業している必要はないが、ハイレベルな経験があり、スタートアップ業界で働いている必要がある」そうです。コミュニティの一員として、入居者は毎週の夕食会や定期的な行事、イベントに参加しければなりません。

欧米だけでなく、アジアのさまざまな地域でコリビングは実践されています。中国・広州では、Colgate社の工場跡地を開放的で風通しの良い明るい共同生活空間、YouPlusに生まれ変わらせました。ここは共通の情熱を持つ若者たちが集い、自分たちのコミュニティを作るためのプラットフォームになっています。2015年、『Bloomberg Business』は、中国全土で約5,000人がYouPlusが運営するコリビング住宅 で暮らしていると報じています。

コリビングが、共通の興味を持つ人々を集めるための有効な手段であることは間違いありません。ロンドンのFish Island Village は、知的職業に従事する若者だけでなく、クリエイティブなコミュニティに興味のある人なら誰でも入居できる住宅を提供しています。「この計画は、多世代のクリエイティブなコミュニティをサポートするために設計されています」と、Fish Island Villageの開発元であるThe Trampery社の創設者、Charles Armstrongは言っています。

将来的に誰もが他の人と一緒に暮らすことに慣れなければならないとしたら、共通の関心を持つ人とだけと暮らすことはどのような結果をもたらすのでしょうか? 個性や多様性という観点からはどうでしょうか? もちろん、同じような目標や考え方を持つ者同士が同じ環境で暮らせば、お互いに影響し合えます。では、それ以外の日常生活で感じられるつながりとは何でしょうか? たとえば、一緒にお風呂に入るというような単純なことでいいのでしょうか?

すべての共同住宅開発の背後には同じ方程式があります。個室が小さければ小さいほど、共同スペースは大きくなるという論理的極限です。
『WIRED』(2016年5月)

「家」の定義

ベッドルームは小さく、共有スペースは大きく。「自分の時間」と「連帯感」のバランスをとるために、コリビング住宅はこのような設計になっていることが多いのです。キッチンなどの設備を共有することで、人と関わり、話をする機会を得ることができます。ハウスメイトと一緒に料理や食事をともにすることで、家族的な感覚を得ることができます。しかし、「家」という感覚をもたらすものは他にどのようなものがあるでしょうか? たとえば人と人との信頼関係、食卓で共有するさまざまな経験、人の存在、玄関で人の気配がしたときのワクワク感、庭の手入れをするといった家事の共有、などでしょうか?

家とは、「人、家族、世帯の通常の住居、アパート、その他のシェルター」または「家庭内の団欒の中心となる場所」と定義することができます。家の個人的な定義は、おそらく世代や年齢層によって異なるでしょう。ミレニアル世代は、不動産を所有することよりも、一緒に暮らすことに興味があるのかもしれません。住宅ローンという負荷がなければ、人は好きなだけ旅行ができるのでしょうか? 将来、一箇所にどのくらいの期間暮らすのでしょうか?

私たちの物質的な空間とのつながりは、最近それほど重要視されていないようです。共同生活空間を開発し賃貸しているRoam社の場合、賃貸契約を結んだ入居者は、世界中にあるRoamの住宅を利用することが可能です。これからの住まいは、物質的なものではなく、友情や人とのつながりによって定義されるようになるのでしょうか?

「一緒」の素晴らしさ

共有スペースは、同じ興味を持つ人たちがお互いに影響し合える環境です。このような物理的な空間は、他にどのような影響を与え合えるのでしょうか? 実際、私たちは無意識のうちにあらゆる方法でお互いに影響し合っているのです。行動は伝播しやすいのです。ということは、共有空間に住む相手は鏡のなかの自分、またはそっくりさんのようなもの。たとえば、オフィスで誰かが貧乏ゆすりを始めると、他の人たちへ伝染したり、誰かの鼻歌の曲が頭の中から離れなったりすることがあります。

このような些細な行動が、オフィス全体に広がってしまうかもしれません。これは、私たちの脳にあるミラーニューロンによって引き起こされます。ミラーニューロンは、1990年代に神経生理学者のGiacomo Rizzolattiが率いる研究チームによって発見されました。このニューロンは脳の前頭葉にある神経細胞で、活性化すると模倣や擬態を引き起こします。科学者の多くは、私たちの「共感」の基はここにあるのだと考えています。人間は社会的な動物であり、ミラーニューロンは私たちの相互依存の証拠なのです。UCLAの神経科学者Marco Iacobiniは、「ミラーニューロンは、私たちの思考、感情、行動、そして人と人との間の架け橋となっているようです」と言っています。人々の間につながりが生まれるからこそ共同生活は素晴らしいのかもしれない、と私は感じました。

お互いに影響し合うだけでなく、コリビングは周囲の環境に適応することが必要です。私たちの生活環境は、テクノロジーの進歩により、より便利で効率的になってきています。しかし、効率化によって他者とのふれあいが減少しつつあります。これもまた、私たちが孤独を感じる理由のひとつなのでしょうか? 交渉したり、変化や周囲に適応したりといった人間的なスキルが今後失われていくのでしょうか? 「共有」の基本的な考えは、分割と交換、交渉と適応です。ピンとこないかもしれませんが、実際そのような行動は、私たちの日常に人間らしさを与えてくれるのです。さて、シェアードリビングの話に戻りますが、この人間らしさを未来の住まいに残すには、どうしたらいいのでしょうか?

コリビングのコンセプトは万人向けではないかもしれないが、居住者間のオープンなコミュニケーションを促すアプローチは、どのタイプの建物にも、そしてそこに住む人々にも効果的であることがわかるだろう。
CityLab(2016年5月)

近い未来における日常生活

私たちの暮らしは、これまでの育てられ方に大きく影響されています。そのため、共有スペースで生活することをまったく想像できない人もいるかもしれません。子どもの頃から共同生活を経験したことがない人は、共有することに対して他の人とは違う視点を持っているかもしれません。

次世代は、共有することに抵抗がなくなるのでしょうか? 人とのつながりという「贅沢」を享受するために、プライバシーをあきらめるのでしょうか? もしくはこの先、プライバシーを気にすること自体が時代遅れになってしまうのでしょうか? 近隣の子どもたちが仲良くなることで、家族同士の絆が生まれるように、これからの住環境はどのようにして人と人との良いつながりを育むことができるのでしょうか? 人と人がより有意義なつながりを持てるようにするには、私たちはどうしたらいいのでしょうか?

これらの質問は私たちの明日に関わる問題です。ということは、今すぐに真剣に考えるべきなのです。