「私にとって、「作曲家」という仕事は、演奏する音楽家の方に五線譜で書かれた手紙を託すことだと思っています。」そう言って文さんは屈託のない笑顔を見せる。どこにでもいそうな普通の女の子。この女の子が、あんなにピーンと張った緊張感のある現代音楽を作曲しているなんて少しそのギャップに驚かされる。今回は、現代音楽のあまり知られていない世界と作曲家としての働き方についてお話を伺った。
個人同士の競争よりも、クラス全体、コミュニティ全体の中の個人という感覚があったデンマーク音楽院
蒔田:音楽をはじめたきっかけってなんだったんですか?
吉田:2歳の時から、地元の音楽教室に通い始めました。それがスタートです。最初は音楽に合わせて、身体を動かしたり、歌を歌ったりするだけだったのですけど、そういうことが好きだった記憶があります。ただ、普通にピアノを弾くのが嫌いで、先生が教えてくれる弾き方にいつも自分なりにアレンジを加えて弾いていたんです。それを先生が見てくれていて、6歳の時から作曲を始めました。
蒔田:早いですね。ご両親が音楽家だったとか?
吉田:いえ、そういうことでは無かったです。父は普通のサラリーマンです。母は元女子サッカーの日本代表だったんです。今でいうなでしこJAPANの一番初期の頃です。
ただ音楽が好きだったんだと思います。子供が絵本を読んで、その世界を絵にかくように、私はそれを音で描いていたんです。私が6歳の頃一番最初に作曲した曲は「にんぎょ姫」という曲目です。これは、アンデルセンの童話をいっぱい読んでいて、それからインスピレーションを受けて書いた曲です。
その後も小中高と普通の学校に通っていました。でもその時も音楽教室にはずっと通い続けていました。ですので、音楽の大学を選んだのも自然の成り行きでした。
蒔田:ヨーロッパでクラシック音楽を学ぶとなると、ドイツやオーストリアなどを考えてしまうのだけれども、どうして北欧にしたんですか?
吉田:大学を卒業したら海外の大学院に留学したいと行く気持ちがずっとありました。先生に相談したところ、近年は北欧の音楽が面白いと聞きました。それがきっかけで、北ヨーロッパの留学先を探していました。デンマークには一度も来たことが無かったのですが、運よくデンマーク音楽院に受かり、日本の大学を3月に卒業して、9月には新しい学生生活をコペンハーゲンで始めていました。
蒔田:デンマーク音楽院ってどんなところですか?
吉田:学校には、音楽の先生、演奏者、音楽評論家を目指す人など色々な科目に分かれていて、学生全体では大体200人ぐらいいたと思います。私の作曲科は大体20人ぐらいでした。
そもそも女性作曲家は世界的に見ても少なく、全体の大体15%にも満たないぐらいしかいません。私のクラスも一年目は約20名中女性が私一人で、2年目から2人増えましたけど、女性は少ない印象でしたね。日本人学生も入学時に一人だけいましたが、2年目は、学校全体で私ひとりでした。
日本の学校に行っていた時は、少なからず個を意識した「競争」みたいなところがあって、一人ひとりライバルみたいな意識があったように思います。それが自分のモチベーションを上げることにもつながっていたのですが、デンマークでは、そういった、同級生同士での「競争」みたいなものがほとんど無かったです。
それよりもみんなで「現代音楽」の未来の可能性や、作曲家の社会的位置の向上にはどうすればいいかなどを語り合ったり、個人同士の競争よりも、クラス全体、コミュニティ全体の中の個人という感覚がありました。
最初のころは、なかなかうまくつかめずに自分のモチベーションを上げるのに苦労しましたが、競争でなくても自分を高められるようになっていくことが発見でした。
蒔田:大学卒業後もずっとデンマークにいたんですね。
吉田:はい、卒業後はデンマークでフリーランスとしてスタートしました。徐々にデンマーク以外での仕事の依頼も増えてきて、他のヨーロッパを見るのも面白いと思って、2年前にオランダに拠点を移しました。いまはデンマークと他のヨーロッパでの仕事が半分ずつぐらいです。
思いつかないから作曲はしないのではなくて、ルーティーンを作って、ちゃんとやる時間を決めています。
蒔田:チボリガードの委託作曲家というのは、どんな仕事ですか?
吉田:2019年にチボリガードの175周年記念のお祝いがあったのですが、その時に自分で作品をチボリガードにご提案しました。その後、「よかったら175周年の記念の曲を書いてみませんか?」とお返事をいただき、昨年から今年までチボリガードが演奏する音楽を作曲することになりました。これまでにもう3曲制作しました。
蒔田:この175周年記念ワルツって、曲が僕大好きです。語彙が足りないんですけど、ドラクエ感がはんぱない。
吉田:あくまでワルツなんですけど、ワルツらしいワルツにしたくはなかったという想いがありました。あくまで、チボリガードの為の曲なんですけど、自分の普段作曲している現代音楽のエッセンスを取り入れて作った思い入れのある曲です。
蒔田:文さんの作る音楽って何ていうか、口では説明できないです。リズムというものが、ほとんど感じられなくて、不協和音が重なり合わせていくっていう。この、「トモダチカミノケミドリヤネン」って曲はその中でもちゃんと起承転結があって、ストーリーがある。
吉田:これはとても実験的な曲で、関西弁を五線譜に記譜するという試みをしてみました。関西弁の独特のイントネーションをどういう風に五線譜で表現するかというところがこの曲のポイントです。歌っている方は誰も関西人の方ではないのですが、聞いてみると、ちゃんと関西弁のイントネーションに聞こえるという曲です。
蒔田:文さんって、どういう風に仕事をするんですか?やっぱり、音楽の神というか、いきなりズバッと書けるものなんでしょうか?書ける日はいっぱい書いて、書かない日がいっぱいあるとかなんですか?
吉田:思いつかないから作曲はしないのではなくて、ルーティーンを作って、ちゃんとやる時間を決めています。思いつかなくても練習だと思って机に向かっています。
バッハやモーツァルトなど、過去の偉大な作曲家から学ぶことは多いですね。彼らの音楽に学び、そこから何か新しいものを発展させていくような感覚です。現代音楽は不協和音などルールがないように聞こえるけれども、意思と軸を大事にしながら、音楽を考えています。
コロナ禍の中、まるで読まれることのなかった手紙のように、誰に宛てて書いているのだろうという気分にもなりました。
蒔田:コロナの影響ってどうですか?
吉田:昨年はデンマークやフィンランドに招待されコンサートを行う予定でいたのですが、延期となりました。少しずつ再会が見えてきたものもありますが、それでも未だに再延期などが続きまだあまり予定が立たないです。
私は、自分が曲を書いて、演奏家に演奏していただいて、聞いてくださった方々からフィードバックをもらうという一連のサークルがあってクリエイティビティを保っているのだと思います。それがコロナの影響で、作品を音として発表する機会がなくなり、演奏家や聞いてくださった方からのフィードバックがなくなりました。それで少しアイディアが生まれてこないスランプにも陥りましたね。机に向かって演奏者に渡す曲を書いていても、まるで、読まれることのなかった手紙のように、誰に宛てて書いているのだろうという気分にもなりました。
蒔田:読まれない手紙かぁ…。早くコロナが終焉に向かうといいと思っています。他にもコロナの影響ってありましたか?
吉田:家で過ごす時間が多くなり、楽しむようになりました。今までは家はただ寝に帰るところみたいな場所だったのですが、普段から使う家具にも少し気を使うようになりました。普段は机で仕事をすることが多いので、椅子は大事にしていますよ。また、照明も面白いですね。大きな空間でも明るさの違いで空間を分けることが出来ます。デンマークの映画監督ラース フォン トリアーの映画ドグヴィルの照明の使い方なんかに影響を受けました。
蒔田:家で過ごす時間が長くなったからこそ、色々なものから改めて影響を受けたりしているんですね…こうして話してみて、早く文さんの音楽の場に行ってみたいと思うようになりました。
吉田:ありがとうございます。音楽を体感して欲しいです。コロナで体感出来なくなったことが多くありますよね。音楽、美術、食事など。レストランの食事をテイクアウェイで持って帰ってきて食べてもなんだか違う。食べたいんじゃなくて、食事をする場所や空間、共感する人などを体感したかったんだって思う時があります。
蒔田:レストランもそうですけど、音楽も体感ですね!
撮影場所:venu (https://www.venu.co/)
一日のスケジュール
吉田さんの一日の過ごし方
7:30 起床
8:00 朝食
9:00 仕事
12:00 昼食
13:00 仕事
17:00 休憩、娯楽
18:00 夕食
19:30 少し仕事
22:00 自由時間
24:00 就寝