• テキスト:Yu Ando

日本では北欧の「豊かさ」に注目が集まることが多いようですが、果たして日本と比べてどういった点が豊かなのでしょうか?本当に日本よりも豊かなのでしょうか?本連載では、フィンランドと日本を比較しながらその中に見える豊かさを考えると共に、フィンランドの今、フィンランドのよいところ(悪いところ)、そして日々の働き方や暮らし方を見つめていこうと思います。

本連載を担当させて戴く私は、Yu Andoと申します。2008年頃より日本とフィンランドを往来し、2015年からフィンランド人の妻と共に首都ヘルシンキに在住しております。ウェブライターとして様々な日本のウェブメディアで執筆する傍ら、日本でフィンランド関連の公演、フィンランド国会で日本に関するゲストトークなどを行ったり、アーティストとして両国でアート作品の展示や、両国のアーティストの作品展をプロデュースしたりもしております。

さて、連載初回である今回は「時間がゆっくり流れる国フィンランド」と題し、そこのところを少し探ってみましょう。

フィンランドを旅行で訪れた日本人からよく聞かれる言葉に「フィンランドは時間がゆっくり流れている…」というものがあります。日常の暮らしと自然の安らぎが共存し、手厚い社会福祉に守られているから、あくせくとせずに心の余裕を持ってゆったりと生きていけるのでしょうか?それがただの通りすがりの異邦人にも感じられるのでしょうか?

日本より時間がゆっくり流れるその理由とは…?

筆者自身は、旅行や短期滞在では無く、実際にフィンランドの首都ヘルシンキの比較的中心部に在住するようになってからも、フィンランドで流れる時間の方がやはり日本で流れる時間よりもゆっくりであるように感じています。では、旅行者や短期滞在者の視点を離れてなお感じられるこの違いは何なのでしょうか?

私はこの理由は複数あると考えますが、それらに共通するのは日本と比較してある種の「少なさ」がそこかしこにあるからではないかと考えます。その「少なさ」はある面では不便である一方、もしかしたらフィンランドで感じるゆったり感の理由の一部であるかもしれません。

少ない選択肢が生むフィンランドの幸せ

そのフィンランドに見える「少なさ」の中でも、まず気付くのは消費に関することがら全般です。フィンランドのお店を訪れたことのある方は、それぞれのジャンルの商品バリエーションが日本と比較して少ないことに気付かれた方もおられるでしょう。ファッション、食料品、電子機器、玩具、更にはレストランやサービス業の種類に関しても日本と比べ種類が豊富とは言いがたいですし、また日本の雑貨に当たるお店に関しては特に少なく感じます。

私もフィンランドでリュックサックを買おうとしていろいろな店を回ってみたものの、見つかるのは同じ商品ばかり。しかも気付いてみれば街行く人々も店で見たものと同じリュックばかりを背負っており、更にはよくよく見ると人々のつけているヘッドフォンもほとんどが同じブランドのもの…。日常的に購入する品々や、ファッション、娯楽としてのショッピングに関して選択肢が少ない状況となっているわけなのです。これは特に買い物において選択肢が豊富な日本から来た身にとっては驚きでした。

しかし一見選択肢が多い方が幸せそうに思えますが、多ければ多いほど心の重荷になってしまうのも事実なのです。「選択のパラドックス」などで知られる心理学者のバリー・シュワルツは、選択肢は無いよりはある方がよいが、選択肢が増えすぎると無力感を感じ不幸になるとTED Talkで語っています。

さらに、人は沢山の選択肢の中から選ぶ行為を繰り返す意思決定を多く繰り返すことで心理的な資源を浪費し、いわゆる「決定疲れ」と呼ばれる状態に陥ってしまいます。こうなると、判断力、決断力が下がり、特に買い物時には衝動買い、買いすぎや、高く払いすぎてしまったりする危険があるのです。KATHLEEN D. VOHSらの2005年の研究では、この心理的な資源を浪費しないことは、お金を無駄遣いしないことに繋がり、最終的にクオリティー・オブ・ライフを向上させるとしています。

人生の選択肢に自由があっても毎日何度も決断を下す必要はありません。しかし日々の消費行為に選択肢があり過ぎる状況では、止めどない決断に心安らぐ間もなく、決定疲れのせいでゆっくり自分の時間を過ごすという決断もままならないかもしれません。

街中でも家の中でも心のゆとりを生み出す「少なさ」

目に飛び込んでくる情報量が少ないヘルシンキの街並み

これは家の中でも同じこと。家の中ではより顕著と言えるかも知れません。北欧の家の中を頭の中に思い描いてみてください。

壁が白くて、機能的なデザインの家具があり、余分な物が置いていない…そんな、すっきりしたシンプルな室内を思い描かれた方は少なくないのではないでしょうか?

実際、そんな光景はフィンランドの家に多くあります。そして特に注目したいのは余分な物があまり見られない点です。

私の経験から言うと、日本の家はそこまで大きなものではありません。そんな家の中には一見きちんと十分な収納スペースが用意されているにもかかわらず、多くの場合、収納場所に入りきらないものが室内のそこかしこに置かれています。また、足りない収納スペースを補うために安っぽい収納ボックス、特にプラスチック製のものなどが多用される傾向があるのも日本の特徴かも知れません。

日経スタイルの記事中では、スタンフォード大学のジョナサン・レバーブ准教授が日本人の消費に関して「過剰なまでの消費主義」と語っていますが、安くて便利そう、安くて面白そうなものをついつい買い求めたくなる心は筆者もよく解ります。ある意味では購入する物そのものよりも、「物を買うこと」それ自体が目的となり、質が低く長持ちしない製品を次々に買ってしまう(これには先ほど説明した「決定疲れ」も関係していることでしょう)。そして、なんとなくもったいない気がして捨てられない…。日本には「安物買いの銭失い」という諺がありますが、安物を買っても最近では壊れるわけでなく、使わない物が家の中に場所を占めて、心の余裕を失うのかも知れません。

これに似た諺はフィンランドにもあります。「貧乏人は安い物を買うべきではない」(Köyhän ei kannata ostaa halpaa)というものです。貧乏であればこそ、質の悪い安物を買わず、高くても質のよい物を買うべき(とは言えローンをしてまで高い物を買うべき、という意味合いではありませんよ)。その中核にある意味合いとしては「安物買いの銭失い」と変わらないようにも思えます。しかし昔から厳しい自然環境にあり、必要以上の物事をする生活の余裕がなく、実用主義的な感性が根付いたフィンランドにおいては、この言葉は思い意味を持っています。

必要かつ品質の高い物のみを買うことで、その物の質の高さを楽しむ気持ちや愛着が生まれ、室内に無駄な物が無い状態を保てるのです。その状態では、物理的、空間的な余裕が存在し、それが心安らぐのです。

日本こそ禅の国であるはずなのに、いつの間にか物質的な豊かさに埋もれて息苦しくなってきた気もします。ここは「貧乏人は安い物を買うべきではない」を新たなモットーに、安く使い捨ての長持ちしないものではなく、本当に価値のある大好きな物にだけ囲まれた、フィンランドスタイルの暮らしに切り替えてみると、時間がゆっくり流れ心に余裕が生まれるかもしれません。

少なさと豊かさ、あなたならどちらを犠牲にする?

フィンランドでは時に様々な物事の「少なさ」を不便に思うことも多くありますが、日本でよく感じる物質的な豊かさや便利さに代表される「多さ」の裏には、「ゆっくりとした時間」という代償もあるのかもしれません。

日本でよく感じる物質的な豊かさや便利さに代表される「多さ」の裏には、「ゆっくりとした時間」という代償もあるのかもしれません。国連による2018年世界幸福度報告でフィンランドは156カ国中1番幸せな国とされています。フィンランドでは時に物質的な選択肢の「少なさ」を不便に思うこともありますが、それがもたらすゆとりにより時間がゆったり流れ、それがフィンランドに心の豊かさ、幸せをもたらしているのかもしれません。

筆者もそんなフィンランドに移り住み、家の中にも外にも感じられる「少なさ」や、無駄の無いシンプルさが、生活にゆとりと豊かさをもたらしていると実感しています。もちろん、あくまでもこれはフィンランド在住の一人の日本人の意見に過ぎません。それにフィンランドで時間がゆっくり感じられると私が考える理由には、今回紙面上語り尽くすことのできなかった様々なことが他に沢山あるのも事実です。

まだまだ語りつきないフィンランド話ですが、今回はこの辺にして、また次回。Moi moi!(またね!)

ABOUTこの記事をかいた人

AndoYu

Yu Andoは2008年頃より日本とフィンランド往来、2015年からフィンランド人の妻と共に首都ヘルシンキ在住。ウェブライターとしてディスカバリージャパン、ライフハッカー[日本版]、FUZEを始め、様々な日本のウェブメディアで執筆。その傍ら日本でフィンランド関連の公演、フィンランド国会で日本に関するゲストトーク、両国でアート展示をプロデュースしたりも。趣味として個人的に運営しているブログ『空耳フィンランド語』や電子ブックシリーズ『ある日フィンランドで』などではフィンランドでの生活、食文化から社会の持つ問題、政治スキャンダルなどに関しても執筆している。