日本で生まれ育った私が、初めて漆黒の闇に触れ、光と影の織りなす美しさ、そして光の多様性とその価値に気付いたのは北欧フィンランドでした。

フィンランドの冬は暗い。なんでこんなに暗いんだろうっていうくらいに暗い。でもそんな暗さだからこそ感じる光の美しさがあります。時刻によって違う光の色合い、暗いからこそわかる光のありがたみ、僅かな光を反射する自然の美しさ。そして光と闇の狭間にできる無限のグラデーション…。

室内灯も暗いフィンランド

特に北欧の国々を旅した日本人からは室内の明かりが日本と比べて暗いという指摘が聞かれます。事実私が住んでいるフィンランドにおいても、ほとんどの家のメインの照明は日本的な感覚からすれば「薄暗い」を超える明るさの物ではありません。現代日本で生まれ育った身からすれば、天気の良い日の日暮れ時、室内灯をつけようかつけまいか悩む頃合いのような、そんな微妙な明るさです。眠いわけでもないのに、本を読んでもなんだか眠くなるような…。

もちろんこのフィンランドの家の明かり暗さは、ただの私の個人的な感想ではありません。フィンランドの知り合いに聞いてみても、日本に行ったことのある人からはフィンランドの室内は「(多くのところで)ちょっと暗すぎると思うことがある」、「雰囲気があって良いけど確かに暗い」、などの声が聞かれます。それもそのはず、日本の家の明るさは、客観的に見てもフィンランドと比較して明るいのです。

ほの暗い明かりの中にあるもの…それは価値

例えば今私がフィンランドで住んでいるアパートのリビングルームは6.5畳ほどの大きさで、部屋の照明は345ルーメンのスポットライト三つに220ルーメンのスポットライト二つ(フィンランド人の大家さんが既に設置していたものなので自分で取り付けたものではありません)。これらを全て同じ方向に向けて照射すれば、単純計算で1472ルーメンという事ができるかもしれませんが、実際にはこれらがそれぞれ部屋の各方向に向いており、部屋全体を照らします。

私の日本の実家では、6畳のリビングルームに3300ルーメンという、先ほどの単純合計の値の倍以上の明るさのLED照明が用いられています。また、日本照明工業会の「住宅用カタログにおける適用畳数表示基準」によれば、6畳の部屋のLEDシーリングライトは2700ルーメンから3700ルーメン、となっていますので、この基準もだいぶ明るそうだと言うことはお判りになるでしょう。

フィンランドの家の暗めの照明であっても、日が落ちることのない夏の白夜であれば室内の暗さは気になりません。しかし暗さの中に一日が沈み込む極夜となれば話は別。冬至が近い季節になれば、フィンランドの一番南にあるヘルシンキでさえ朝9時にようやく朝日らしい面影が見えたかと思ったら、午後3時も過ぎればもう黄昏ます。暗い時間が長いにもかかわらず、日本人の目から見れば室内の明かりがどこか物寂しい暗さを帯びている、それがフィンランドの室内光なのです。

ではフィンランドの人々が一日中このような薄明かりの中で吸血鬼のように生活しているのかと言えばそれは違います。オフィスや教室、そしてもちろんショッピングモールなどの中は爛々と光で照らし出されています。ある意味このような環境は、技術の力で自然を屈服させるかのように、目障りな外界の気候の影響を受けない最適な明るさを確保し、集中して作業するために物事を明瞭に照らし上げる光環境が人工的に造り上げられたものとでも言えるでしょう。ではなぜフィンランドでは家の明かりが暗いのか。

それはこの薄暗い明かりにフィンランドの人々は価値を見いだすからです。仕事が終ってようやく帰ってきた家で求められるのは、職場を思い出させるような強い光ではなく、落ち着いてくつろぐことのできる豊かさを持った明かりなのです。時に夏の強い太陽光と、時に冬のか弱い太陽光と交われど、それを征服せず、時に外界が漆黒の闇に包まれてなおその闇と戦わず、それと共に引き立て合う、そんな光に価値が見いだされるのです。

漆黒の中の美しい光

しかし窓から入ってくる自然光の美しさと、その移り変わりのサイクルの終点であり始点にあるのは暗闇です。そんな漆黒の闇もまた、フィンランドの生活の一部です。ですが暗闇の中で一番映える光は、闇をかき消すような対称的な明るさを放ち、暗闇に慣れた目をひとたび向ければ眩んでしまうかのような光ではなく、暗闇を補い共に映える光。蝋燭の明かりです。

暗闇に静まりかえった湖の畔のコテージで、部屋の中に蝋燭をいくつか灯し、味わう明かりの美しさと、その醸し出す雰囲気は、人工的な揺らぎ機能の搭載された蝋燭を模したLED照明とはやはり違います。蝋燭の揺らぐ明かりに照らされた木組みのコテージの壁、その凹凸が見せる陰の揺らめき。窓ガラスに反射する炎と、その向こうに見える自然の深い暗闇。

このような蝋燭の明かりは都会の生活でも愉しむものです。フィンランドではレストランやカフェでも夕暮れになると電気の光を暗くして、各テーブルに蝋燭の光を灯します。家の中でも毎日ではありませんが蝋燭を灯します。室内の電気を暗くして、蝋燭にマッチで火を灯して、雰囲気のある暖かな明かりに照らされる生活に心を安らげるのです。

暗くなった室内に灯された蝋燭の光の儚げさからは、技術の発展と共に押さえつけられるようにして我々の目の前から姿を消していった時代の記憶がふと顔を出し、そしてその揺らめきが形作る陰影からは闇と光の間でゆりかごのように揺られる安らぎが感じられます。

暗い明かりの中の暖かさ

この蝋燭を愉しむ文化とフィンランドの家の中の明かりに共通するのは、薄暗さだけではありません。どちらも光の色が暖かいのです。その一方でこの明かりの色合いが暖色系であることと対称的に、職場の明かりの色合いは白味が強いことも指摘しておきましょう。「仕事を終えて家に帰ってまで、職場と同じような強い光に包まれていたくない」、と言う友達もいます。仕事に集中する必要の無い家では、暖かな色の暗めの光の方が心が落ち着くのです。

こうして光の強さだけでなく色合いも変えることで職場とプライベートとを心理的にも物理的にも切り離すことがたやすくなるのでしょう。この二つを切り分けることでこそ人生のバランスが上手くとれるのかもしれません。そしてもしかしたら家の中も強い光で照らされている日本は、仕事とプライベートを切り離すのが上手くないのかもしれません。

終わりに

市街地にあるアパートなどを見ても、多くの家は夜になってもカーテンを閉めずに、外から見れば室内の暖かな明かりが漏れ見えます。北欧では「窓から漏れる光の色と強さを見れば海外から来た人のアパートがわかる」とまで言います。北欧外の人はより強く白い明かりをつけたり、カーテンを閉めたりするのだそうです。

ここからわかるのは、フィンランドでは真っ暗な外と明るい室内とを二分するのではなく、その時々の季節の明るさや暗さと、室内の光とを混ぜ入れることにより、外と中・光と闇とのグラデーションに価値を見いだしていると言うこと。そして、状況に合わせて光の強さや色を使い分けることで、くつろぎの場としての家の明かりを生み出し、また家の中での生活の時々で光を変化させることで日常に豊かさをもたらそうとしているということでしょうか。

皆さんも日頃何気なく使っている明かりのその強さや色、自然の光と闇との相性に目を向けてみると、光に対して新たな意識が芽生えるかもしれませんね。

ABOUTこの記事をかいた人

AndoYu

Yu Andoは2008年頃より日本とフィンランド往来、2015年からフィンランド人の妻と共に首都ヘルシンキ在住。ウェブライターとしてディスカバリージャパン、ライフハッカー[日本版]、FUZEを始め、様々な日本のウェブメディアで執筆。その傍ら日本でフィンランド関連の公演、フィンランド国会で日本に関するゲストトーク、両国でアート展示をプロデュースしたりも。趣味として個人的に運営しているブログ『空耳フィンランド語』や電子ブックシリーズ『ある日フィンランドで』などではフィンランドでの生活、食文化から社会の持つ問題、政治スキャンダルなどに関しても執筆している。